政治家になるには

 鎌倉市議の藤本あさこさんのトークライブに行っていて、政治家になろうと思ったときに「政治家になるには」と検索したけど何も出てこなかった、と言う話を聞いて反省した。

 まさにランフォーサムシングジャパンこそが、初めて選挙にでる人をサポートする、恐らく日本唯一(そして、最強)の団体であるのに。

 いい政策を持った、いい政治家になりそうな人は、大概選挙が弱いし、初めて政治を志すには「選挙」はハードルが高い。だってどこにもノウハウ本もサイトも無いし。

 というわけで、2018年に始めたのが、ランフォーサムシングジャパンです。

 「ジャパン」とついているのは、Xジャパンのふぁんだからでも、ヤンキーだからでもなく、アメリカにRun for somothing という団体があり、その団体に許可をとって使わせてもらっているからなのです。

 ランフォーサムシングジャパンも結成から、もう4年。来年はいよいよ統一地方選がありまあす。これから社会を変えていきたいと思っている方はどんどん挑戦してみてください。

 ちょっと調べてみたいという方は、kindle版だけですが『勝つ選挙』という本がありますので見てみてください。

野田佳彦元首相による安倍晋三元首相の追悼演説(解説)

野田佳彦元首相による25日の衆院本会議での安倍晋三元首相の追悼演説

本院議員、安倍晋三元首相は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。

享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。

すべては一瞬にして奪われました。

→演説は冒頭が命です。事実を述べる淡々とした部分ですが、これを下手な話者がやると、退屈な部分になります。が、2バラグラフ以降、特に3パラグラフが入っていることによって、より「思い」が入っています。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

→ちょっとしたことですが、「前を向いて訴えている時」と「後から撃たれる」で対比させています。 

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに首相のバトンを渡した当人であります。

我が国の憲政史には101代64名の首相が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

→何故、私がこの演説をやるのか。自己紹介的な部分と演説の必然性を入れています。都知事選の応援演説でも入っていました。これが入ると説得力が違います。

そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年(1954年)9月、後に外相などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆院議員、母方の祖父と大叔父は後の首相という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外相に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父晋太郎氏の急逝後、平成5年(1993年)、当時の山口1区から衆院選に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

→フラッシュを浴びている安倍さんと、そうでない野田さん。絵が見えるような対比です。そして、同じく総理になったという点。自分の立場も主張しながら、必然性も伺えます。運命のライバルのように見えますよね。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、衆知のごとくであります。

官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自民党幹事長、官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年(2006年)9月、第90代の首相に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

→安倍さんの生涯で、多くの人が共感できる点の一つが「再起」だと思います。政治的評価ではなく、「多くの人が共感する部分」をあえて取り上げているのだと思います。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年(2012年)、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時首相の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年(2012年)11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それは、与党と野党第1党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

→これは、安倍さんのみならず野田さんにとっても生涯の一代勝負で、もっと評価されてしかるべきものでしょう。ご自身を語るという意味でも取り上げられたのではないでしょうか。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、かたきのような政敵でした。

攻守を代えて、第96代首相に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年(2012年)12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

→当事者しか分からないエピソードです。これを聞き逃すことはできませんね。ストーリーは人を魅了するのです、。ストーリーで人を語らねばなりません。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私にはあなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第一次政権の終わりに、失意の中であなたは入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新首相の親任式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年(2012年)暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさをやゆすることは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、首相の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

→ここ一カ所だけ数字がでてきます。数字は効果的に使えば、信頼性を高める効果があります。しかし使いすぎると、聞いている人が追えません。だから一カ所だけ、ここぞ、というところで使ってます。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の首相となってから、一度だけ首相公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年(2017年)1月20日、通常国会が召集され政府4演説が行われた夜でした。

→エピソード2

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

→名演説とされている演説の大半は過去の名言、名演説を引用しています(オバマ、リンカーン、ケネディも)。

安倍さん。

あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

→「刺さる」「短い」言葉です。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国にのこしたものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを問い続けたい。

国の宰相としてあなたがのこした事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます。

→誰に訴えているのか、ちゃんと意識しています。

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。

真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。

私はそう信じます。

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元首相。

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

→締めがちゃんとしていない演説がありますが、最後も大事です。素晴らしく締められています。

勝つ 選挙

本当は3冊同時に出したんです。選挙必勝法。「勝つ選挙」https://amazon.co.jp/dp/B09X6JNNG9

何故、同時に3冊かというと・・・面白いかな、と思っただけです。死にかけました。

いい事務所とは

「いい事務所」の話を前回書きましたが、「いい事務所」とは何か書いてなかったので追加で書きます。

 いい事務所とは

 整理整頓されている (えっ?)

 誰が訪ねてきても、それ相応の人が対応してくれる (えっ?)

 さっと飲み物(お茶など)がでる (えっ?)

 事務所内の人がやるべきことをやっている (えっ?)

 事務所内の人の顔が明るい (えっ?)

 全部当たり前のことじゃないか?と突っ込みたくなりませんか。

 ですが。よく考えたら当たり前のことをキッチリと当たり前にやるのが「選挙」じゃないですか。 いや、選挙に限らず「営業」でも「学業」でもそうではないですか。

 「おはようございます」「おやすみなさい」「こんにちは」「ありがとうございます」がちゃんと言える。授業の5分前には席に着いている。家に上がったら靴を揃える。ご飯を食べたら「ごちそうさまでした」と言える。当たり前のことを「当たり前」にまずやってからが勝負じゃないですか。

 そんなことができてない事務所いっぱいあります。そんなことが出来てない人いっぱいいます。

 その上での戦略であり、戦術です。

 大体、「選挙」というと普通の感覚が吹っ飛ぶことが多いです。そういう私もこの前までそうでした。

 きっかけはピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』。

(ピーター・ティールっていうのは、テスラ、ユーチューブ、フェイスブック、スポティファイ、エアービー・アンド・ビーなどに投資したり、その人材を育てたりして新興企業の親分みたいな人)

 『ゼロ・トゥ・ワン』の中で、ピーター・ティールが強調しているのは「セールスの大切さ」。いわゆる新興企業家は、「開発」だとか「戦略」だとか、格好いいことばかりいって「セールス」を軽視している。だからほとんどの会社は潰れると。「セールス」のどこがカッコ悪いんだ?みんな何かを売ってるんだ、という例がいくつかあって、その中に『政治家は「人」を売ってるんだ』という言葉がありました。

 なるほど、そうなのか。セールスみたいに考えればいいんだ。

 演説で、人にものを教えるように上から目線で話す人。そんなセールスマンいませんよね。「私(という商品)が当選したら、あなたの生活がどんなに良くなるか。便利になるか」言わないといけないですよね。

 よくあるのが「私は決死の覚悟でこの選挙に臨んでます!」

 いや、セールスマンがどんな覚悟で来ようが、買う人には関係ないでしょ。商品のどこがどういいのか言わなきゃ。

 他にも競合商品をけなすだけの演説。それは分かったから、お宅の商品はどんなの?って言いたくなります。

 と言うわけで、選挙に「一般の感覚を持っていこう!」という話は長くなるのでまた次回。

衆議院総選挙が終わって

 総選挙が終わって、まだ疲れも癒えていませんが、得た知見をボチボチ書いていきます。

 今回は(選挙)事務所の雰囲気について。

 概して、高学歴な候補者のところは事務所がエグくなる傾向があるように思います。これは(当たり前すぎて誰も書いてないのであえて書くと)受験や資格試験は「陸上」のような個人競技で、独りの頑張りでなんとでもなる。

 対して選挙は「サッカー」とか「野球」みたいなチーム・スポーツに近い。 ルールというか、そもそも種目が違う。自分より(ある分野で)能力の劣るスタッフが失敗して「何やってんだ!バカ!」と怒るか、「ドンマイ!ドンマイ!次取っていこう!」と言うかの違いである。もちろん後者が有利。

 勝つ事務所、特に奇跡の逆転劇をするような事務所は、終盤に向かって「わっさ、わっさ」という活気がある。

 自分の力が120%、いや140%ぐらいでているような錯覚におちいるときもある。フローの状態になる。こんな経験があるとやめられない(それでも「投票日があと1日後だったら」とか「あと一週間あったら」という選挙はざらにある。だから時間管理が大事なのです)。

 落選した候補者の人も、色々な思いがあるだろう。曰く「選挙区が悪かった」「時間がなかった」「回りのスタッフが悪かった」あげくに「有権者が悪かった」。

 事務所の雰囲気の責任は、第一に候補者にあります。

 ある寺の前に張り紙がしてありました。「他人は変えることは出来ないが、自分は変えることが出来る」

(だから、某政党の「変えよう。」というポスターをみて、「変わろう」じゃないのか?と思っていた。「変えよう」というのは、自分が正しいと思っている人の上から目線。これが受け入れ得られるのは、皆がそう思っているような特異な状況の時だけ)。

 負けたときにしか変われない。負けたら、天の恵みと思って反省したら良いです。

 勝ったら反省しない。初回の選挙は手伝うことが多いが、2回目は手伝わない。ほとんどの候補者は、初回は何でも聞いて学ぼうという姿勢があるが、勝つと人の言うことは聞かなくなる。

 勝ちが続くと天狗になる。何連勝もしている人が突然、落選する。常に自分を省みて、反省し改善していく希有の人だけが連続当選していく。「変えよう」じゃなく、まず自分が「変わろう」。次の選挙はもう始まっています。

 数々の困難を乗り越えて、信を問うた人。あなた達は、地域の、この国の、世界の宝であり、光です(私たちにはとてもあんなことは出来ません)。頑張ってください。そして私達も頑張ります。

演説(技術的な話)

いよいよ総選挙が迫ってきました!今回は演説のちょっと技術寄りの話。



 前に「ストーリーが大事だ」と書きましたが、視点を変えて言うと「絵を見せるように話す」ということです。これは二つの意味があって「誰にでも分かるように、話の筋道を付けて話す」という意味と「情景が浮かんでくるように話す」という意味です。前者は、話す内容が誰でも分かりやすい順番で話すこと。よく「今日は三つの話をします。一つ目は○○・・」というのが教科書には載っていますが、はっきり言ってダサい。誰でも分かるようにストーリーを工夫してください。
 かつ、よく言われることですが、アメリカ大統領の演説は日本で言うと中2ぐらいの英語で話されています。難しい言葉(専門用語)を使わないように。
 もう一つは、ユーミンの旦那、松任谷正隆が曲をアレンジして、ミュージシャンに指示するときに「風景が浮かんでくるように」と言うそうですが、演説も同じです。

対比
 次に「対比」です。演説に対比を取り入れると、際立つし、印象に残りやすい。次の演説は35人学級法案の賛成討論です。
「何度も言われていることですが、我が国は、いまだOECD諸国の中でGDPに占める教育費は最低レベル、平均学級規模はOECD平均二十人に対して二十七人と、これもある意味で最低レベルです。一方、教職員の労働時間は群を抜いて長い環境にあり、教育の質の担保を子供たちのためだからという教員の善意の労働に頼るのは限界に来ています」
 オバマの超有名な「赤い州青い州」演説(2004年民主党大会)もそうです。
「そこで今夜、私は彼らにこう言いたい。リベラルなアメリカも保守のアメリカもない。あるのはアメリカ「合衆」国だと。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない(このあたり速い)。あるのはたった一つの(間をおく)アメリカ(United States of America)」
 っていう感じで、実にカッコいいんですよ。で、次の「間」です。



 オバマを批判する人は「オバマの演説って良く聞いたら中身ないよね」と言いますが、当たらずとも遠からずで、言い切ってしまうとオバマ演説の肝は「間」です。間の取り方が圧倒的に上手い。私も時々音楽代わりに聞いてますが、演説が音楽的です。「空白」が「物事」を際立たせるので、是非「間」を習得してください。

Litany(リタニ)
 最後は聞き慣れない言葉ですが、リタニとは「連祷(れんとう)」と訳されることが多いようです。日本のスピーチの本ではほとんど見たことがありませんが、海外だと当たり前のように使っています。
 本来は、キリスト教カトリックでの、聖職者と会衆が交互に「主よ哀れみたまえ」「キリストよ哀れみたまえ」のような定型句を唱えるなどの、反復的な形式の祈りを指すようです。
 要は、演説の一番盛り上がるところ=一番言いたいところで、リズムよく繰り返して訴えるということでしょうか。キング牧師の「アイハブ・ア・ドリーム」を思い出していただければ良いかもしれません。
 日本人で上手く使っている人をみることは滅多にありませんが、是非取り入れて欲しいと思います。

スピーチライターの悲しみ

 今日、「演説とSNS発信の活用を考える超党派国会議員勉強会」というのがあって、選挙ドットコムチャンネルでおなじみの選挙プランナー松田馨さんやスピーチライター千葉佳織さん、最近話題のSNSアナリスト中村佳美さんらが出られるので、参加してきました。


  海外の名演説、ヒラリー・クリントンの北京第4回世界女性会議演説(「人権は女性の権利であり、女性の権利は人権である」)とか、ロナルド・レーガンのノルマンディー上陸作戦記念演説(「私たちは寂しい、風の吹きすさぶ、フランスの北の海岸に立っている・・」)とか、海外では、ちゃんとスピーチライターが評価され、そのことによって話者の評価が下がるなんてことはないのだけど、日本ではスピーチライターって評価も活用もされていないように思う。もっと活用され職業として確立されてもいいと思うのだが。


 とはいえ、「どの演説のどの部分は私がやりました!」と言えないので悲しい職業ではある。さらに、大きな舞台での演説になるとチームで書くので書いた部分も細切れになったりする。米副大統領のスピーチライターだったロバート・ラーマンが、同僚に「お前のライン(書いたもの)、大統領の就任演説に使われてたな!」と言われて、本人がびっくりしたという話がある。


 スピーチは、専門家の本を読んだり動画を見ても、体得するのが難しい。一般的なことを言われてもなかなか良くならない。
 最近、ナシーム・ニコラス・タレブの『身銭を切れ』という本を読んでいたら、納得するところがあった。やったことや言ったことの結果が自分に及ばないコンサルタントや官僚や評論家や経済学者や銀行家の意見は聞いちゃダメだと(逆に、自分の仕事が自分の評価・金銭に直に跳ね返ってくる職人や起業家や投資家などは信用できる)。


 専門家をディスっているわけじゃないけど、その結果が直に身に降りかかる人と、それ以外の人ではやっぱり感覚は違うかな。概論を知っている有用性は確実にあると思うけど。


 というわけで、私が協力した原稿が来週の代表質問に一部でも残るのか、全削除なのか、ちょっとワクドキ。

マイクの写真

政治家と三つの輪

 選挙シリーズもいよいよ佳境に入ってきました。って、「一体いくら書くことがあるんじゃい!」という感じですが、この際すべてのノウハウお伝えします。

 ずいぶん前ですが、民社党(若い人知ってます?)の高名な理論家という方を紹介されて、ご自宅に通っていた時期があります。その時に教わったのが、「政治家には三つの輪がある」という話。

 つまり、「お前のことは嫌いだが、お前の政党は好きだから入れてやる」という人もいれば、「お前の政党は嫌いだが、お前のことが好きだから入れてやる」という人もいる。「お前もお前の政党も嫌いだが、お前の政策は好きだから入れてやる」という人もいます。

 政党・人・政策、この三つを使い分けて、どの人にはどれを強調すればいいのか、どの場ではどれを強調すればいいのかを選んで話す(説得する)ということです。

 野党系だとたいてい政党の支持が弱いので人物か政策になるのですが、新人の場合、政策があんまり分かってないので、党のパンフレットかキャッチコピーを連呼することになりがち(「政権交代!」「改革を止めるな!」等)。なかなか武器になりません。政策は横浜市長選のようにタイミングがあえば、政党が弱く本人も知名度がない場合でも一気に上がる要素になります。政党も弱く、政策もイマイチなら「人物」です。

 衆院選を戦う皆さん、時間はあまりあませんが、頑張ってください!!

政治と恋愛の関係

 恋愛(結婚)と選挙は似ている。道ですれ違った人に突然恋に落ちて「結婚しよう!」と思うことがないように、街頭演説しているのを見て「この人に投票しよう!」となることはあまりない。よっぱど、ルックスがいいとか、話がうまいとかでないかぎり。だから街宣で票を取るのは難しい。
 やはり信頼できる人が「この人、見栄えはちょっと悪いけどいい人だから見合いしてみない?」って連れてきた人なら「まぁ信頼して会ってみるか」→「まぁいいか」となる可能性は高い。選挙でいうと「紹介」してもらうのがこれに当たる。だから、街頭などの空中戦ばかりでなく、紹介してもらうのが確実だ。できればできるだけ名望のある人、地域で信頼されている人の紹介なら言うこと無し。これが時間かかるので、密度は薄いが、ミニ座談会とかになる。
 その他、地域の集まりなどに顔を出して「なんとなく顔を見知っているけど、悪い人じゃなさそうねぇ」→「意外に優しい一面があるのねぇ」となれば、恋愛、いや投票してもらえる可能性は高くなる。だから小まめに地域を回っていることも大事。


 大体、年齢の高い世代がちゃんと選挙に行くのは、世間を経験して政治の大事さに気づいたこともあるだろうが、「投票日には選挙に行くもんだ」と教育を受けてきた影響が大きいのではないかな。これは「適齢期になったら結婚するもんだ」というその世代の考えと連動している?
 それが平成生まれとかになると「なんで結婚なんてしないといけないの」、「誰を選んでもたいして変わらないし、バラ色の未来なんてないんだから結婚しなくていいや」=「投票にいかない」となってくる。それを説得するのは結構難しい。「だって、そういうもんだから、そういうもんなんだよっ!」って。だから「投票率を上げよう!」という運動はなんだかレトロな感じがするのかな。


 政治の側(投票される側)はもう低投票率を前提として動くか、目の覚めるようなぴっかぴかの男または女になって、投票所に思わず行かせてしまうぐらいの魅力を出すか。


 人間には「現状維持バイアス」がある。不確実な未来よりも、確実な現在の方を選ぶ。現政権、現首長、現職がいくらDV夫みたいに、暴言は吐くわ、金は大半自分のものにして妻(国民・市民)には少ししか渡さなかろうが、不正をしようが、妻や子どもが病気になっても放っておこうが、なかなか別の男に…ってことにはならない。


 別の男がぴっかぴかならともかく「悪いことはしません」「暴言は吐きません」「不正もしません」みたいな「しませんリスト」だと、心は動きにくい。ましてやこの男、金持ってなさそうで「一緒に貧乏しよう」みたいなことを言い出しそうだと余計に…。


 昔、ある野党系の新人候補の応援に入って「あんまり『変える、変える』って言うな」とアドバイスしたことがある。「むしろ『変えません!』って言え」って。
 さすがに、「私が当選しても何も変わりません」とは言えないので、ものの喩えなんだけど。これも人の現状維持バイアス、変化に対する恐怖を考えてのこと。変化を促すには、不安を解消し安心してもらった上に、不安を越える「良いこと」があると納得してもらわないとダメだと思う。
(ちなみにこの方はその後も連続当選されています)