スピーチライターの悲しみ

 今日、「演説とSNS発信の活用を考える超党派国会議員勉強会」というのがあって、選挙ドットコムチャンネルでおなじみの選挙プランナー松田馨さんやスピーチライター千葉佳織さん、最近話題のSNSアナリスト中村佳美さんらが出られるので、参加してきました。


  海外の名演説、ヒラリー・クリントンの北京第4回世界女性会議演説(「人権は女性の権利であり、女性の権利は人権である」)とか、ロナルド・レーガンのノルマンディー上陸作戦記念演説(「私たちは寂しい、風の吹きすさぶ、フランスの北の海岸に立っている・・」)とか、海外では、ちゃんとスピーチライターが評価され、そのことによって話者の評価が下がるなんてことはないのだけど、日本ではスピーチライターって評価も活用もされていないように思う。もっと活用され職業として確立されてもいいと思うのだが。


 とはいえ、「どの演説のどの部分は私がやりました!」と言えないので悲しい職業ではある。さらに、大きな舞台での演説になるとチームで書くので書いた部分も細切れになったりする。米副大統領のスピーチライターだったロバート・ラーマンが、同僚に「お前のライン(書いたもの)、大統領の就任演説に使われてたな!」と言われて、本人がびっくりしたという話がある。


 スピーチは、専門家の本を読んだり動画を見ても、体得するのが難しい。一般的なことを言われてもなかなか良くならない。
 最近、ナシーム・ニコラス・タレブの『身銭を切れ』という本を読んでいたら、納得するところがあった。やったことや言ったことの結果が自分に及ばないコンサルタントや官僚や評論家や経済学者や銀行家の意見は聞いちゃダメだと(逆に、自分の仕事が自分の評価・金銭に直に跳ね返ってくる職人や起業家や投資家などは信用できる)。


 専門家をディスっているわけじゃないけど、その結果が直に身に降りかかる人と、それ以外の人ではやっぱり感覚は違うかな。概論を知っている有用性は確実にあると思うけど。


 というわけで、私が協力した原稿が来週の代表質問に一部でも残るのか、全削除なのか、ちょっとワクドキ。

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