政治家になるには

 鎌倉市議の藤本あさこさんのトークライブに行っていて、政治家になろうと思ったときに「政治家になるには」と検索したけど何も出てこなかった、と言う話を聞いて反省した。

 まさにランフォーサムシングジャパンこそが、初めて選挙にでる人をサポートする、恐らく日本唯一(そして、最強)の団体であるのに。

 いい政策を持った、いい政治家になりそうな人は、大概選挙が弱いし、初めて政治を志すには「選挙」はハードルが高い。だってどこにもノウハウ本もサイトも無いし。

 というわけで、2018年に始めたのが、ランフォーサムシングジャパンです。

 「ジャパン」とついているのは、Xジャパンのふぁんだからでも、ヤンキーだからでもなく、アメリカにRun for somothing という団体があり、その団体に許可をとって使わせてもらっているからなのです。

 ランフォーサムシングジャパンも結成から、もう4年。来年はいよいよ統一地方選がありまあす。これから社会を変えていきたいと思っている方はどんどん挑戦してみてください。

 ちょっと調べてみたいという方は、kindle版だけですが『勝つ選挙』という本がありますので見てみてください。

勝つ 選挙

本当は3冊同時に出したんです。選挙必勝法。「勝つ選挙」https://amazon.co.jp/dp/B09X6JNNG9

何故、同時に3冊かというと・・・面白いかな、と思っただけです。死にかけました。

いい事務所とは

「いい事務所」の話を前回書きましたが、「いい事務所」とは何か書いてなかったので追加で書きます。

 いい事務所とは

 整理整頓されている (えっ?)

 誰が訪ねてきても、それ相応の人が対応してくれる (えっ?)

 さっと飲み物(お茶など)がでる (えっ?)

 事務所内の人がやるべきことをやっている (えっ?)

 事務所内の人の顔が明るい (えっ?)

 全部当たり前のことじゃないか?と突っ込みたくなりませんか。

 ですが。よく考えたら当たり前のことをキッチリと当たり前にやるのが「選挙」じゃないですか。 いや、選挙に限らず「営業」でも「学業」でもそうではないですか。

 「おはようございます」「おやすみなさい」「こんにちは」「ありがとうございます」がちゃんと言える。授業の5分前には席に着いている。家に上がったら靴を揃える。ご飯を食べたら「ごちそうさまでした」と言える。当たり前のことを「当たり前」にまずやってからが勝負じゃないですか。

 そんなことができてない事務所いっぱいあります。そんなことが出来てない人いっぱいいます。

 その上での戦略であり、戦術です。

 大体、「選挙」というと普通の感覚が吹っ飛ぶことが多いです。そういう私もこの前までそうでした。

 きっかけはピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』。

(ピーター・ティールっていうのは、テスラ、ユーチューブ、フェイスブック、スポティファイ、エアービー・アンド・ビーなどに投資したり、その人材を育てたりして新興企業の親分みたいな人)

 『ゼロ・トゥ・ワン』の中で、ピーター・ティールが強調しているのは「セールスの大切さ」。いわゆる新興企業家は、「開発」だとか「戦略」だとか、格好いいことばかりいって「セールス」を軽視している。だからほとんどの会社は潰れると。「セールス」のどこがカッコ悪いんだ?みんな何かを売ってるんだ、という例がいくつかあって、その中に『政治家は「人」を売ってるんだ』という言葉がありました。

 なるほど、そうなのか。セールスみたいに考えればいいんだ。

 演説で、人にものを教えるように上から目線で話す人。そんなセールスマンいませんよね。「私(という商品)が当選したら、あなたの生活がどんなに良くなるか。便利になるか」言わないといけないですよね。

 よくあるのが「私は決死の覚悟でこの選挙に臨んでます!」

 いや、セールスマンがどんな覚悟で来ようが、買う人には関係ないでしょ。商品のどこがどういいのか言わなきゃ。

 他にも競合商品をけなすだけの演説。それは分かったから、お宅の商品はどんなの?って言いたくなります。

 と言うわけで、選挙に「一般の感覚を持っていこう!」という話は長くなるのでまた次回。

衆議院総選挙が終わって

 総選挙が終わって、まだ疲れも癒えていませんが、得た知見をボチボチ書いていきます。

 今回は(選挙)事務所の雰囲気について。

 概して、高学歴な候補者のところは事務所がエグくなる傾向があるように思います。これは(当たり前すぎて誰も書いてないのであえて書くと)受験や資格試験は「陸上」のような個人競技で、独りの頑張りでなんとでもなる。

 対して選挙は「サッカー」とか「野球」みたいなチーム・スポーツに近い。 ルールというか、そもそも種目が違う。自分より(ある分野で)能力の劣るスタッフが失敗して「何やってんだ!バカ!」と怒るか、「ドンマイ!ドンマイ!次取っていこう!」と言うかの違いである。もちろん後者が有利。

 勝つ事務所、特に奇跡の逆転劇をするような事務所は、終盤に向かって「わっさ、わっさ」という活気がある。

 自分の力が120%、いや140%ぐらいでているような錯覚におちいるときもある。フローの状態になる。こんな経験があるとやめられない(それでも「投票日があと1日後だったら」とか「あと一週間あったら」という選挙はざらにある。だから時間管理が大事なのです)。

 落選した候補者の人も、色々な思いがあるだろう。曰く「選挙区が悪かった」「時間がなかった」「回りのスタッフが悪かった」あげくに「有権者が悪かった」。

 事務所の雰囲気の責任は、第一に候補者にあります。

 ある寺の前に張り紙がしてありました。「他人は変えることは出来ないが、自分は変えることが出来る」

(だから、某政党の「変えよう。」というポスターをみて、「変わろう」じゃないのか?と思っていた。「変えよう」というのは、自分が正しいと思っている人の上から目線。これが受け入れ得られるのは、皆がそう思っているような特異な状況の時だけ)。

 負けたときにしか変われない。負けたら、天の恵みと思って反省したら良いです。

 勝ったら反省しない。初回の選挙は手伝うことが多いが、2回目は手伝わない。ほとんどの候補者は、初回は何でも聞いて学ぼうという姿勢があるが、勝つと人の言うことは聞かなくなる。

 勝ちが続くと天狗になる。何連勝もしている人が突然、落選する。常に自分を省みて、反省し改善していく希有の人だけが連続当選していく。「変えよう」じゃなく、まず自分が「変わろう」。次の選挙はもう始まっています。

 数々の困難を乗り越えて、信を問うた人。あなた達は、地域の、この国の、世界の宝であり、光です(私たちにはとてもあんなことは出来ません)。頑張ってください。そして私達も頑張ります。

スピーチライターの悲しみ

 今日、「演説とSNS発信の活用を考える超党派国会議員勉強会」というのがあって、選挙ドットコムチャンネルでおなじみの選挙プランナー松田馨さんやスピーチライター千葉佳織さん、最近話題のSNSアナリスト中村佳美さんらが出られるので、参加してきました。


  海外の名演説、ヒラリー・クリントンの北京第4回世界女性会議演説(「人権は女性の権利であり、女性の権利は人権である」)とか、ロナルド・レーガンのノルマンディー上陸作戦記念演説(「私たちは寂しい、風の吹きすさぶ、フランスの北の海岸に立っている・・」)とか、海外では、ちゃんとスピーチライターが評価され、そのことによって話者の評価が下がるなんてことはないのだけど、日本ではスピーチライターって評価も活用もされていないように思う。もっと活用され職業として確立されてもいいと思うのだが。


 とはいえ、「どの演説のどの部分は私がやりました!」と言えないので悲しい職業ではある。さらに、大きな舞台での演説になるとチームで書くので書いた部分も細切れになったりする。米副大統領のスピーチライターだったロバート・ラーマンが、同僚に「お前のライン(書いたもの)、大統領の就任演説に使われてたな!」と言われて、本人がびっくりしたという話がある。


 スピーチは、専門家の本を読んだり動画を見ても、体得するのが難しい。一般的なことを言われてもなかなか良くならない。
 最近、ナシーム・ニコラス・タレブの『身銭を切れ』という本を読んでいたら、納得するところがあった。やったことや言ったことの結果が自分に及ばないコンサルタントや官僚や評論家や経済学者や銀行家の意見は聞いちゃダメだと(逆に、自分の仕事が自分の評価・金銭に直に跳ね返ってくる職人や起業家や投資家などは信用できる)。


 専門家をディスっているわけじゃないけど、その結果が直に身に降りかかる人と、それ以外の人ではやっぱり感覚は違うかな。概論を知っている有用性は確実にあると思うけど。


 というわけで、私が協力した原稿が来週の代表質問に一部でも残るのか、全削除なのか、ちょっとワクドキ。

マイクの写真

政治と恋愛の関係

 恋愛(結婚)と選挙は似ている。道ですれ違った人に突然恋に落ちて「結婚しよう!」と思うことがないように、街頭演説しているのを見て「この人に投票しよう!」となることはあまりない。よっぱど、ルックスがいいとか、話がうまいとかでないかぎり。だから街宣で票を取るのは難しい。
 やはり信頼できる人が「この人、見栄えはちょっと悪いけどいい人だから見合いしてみない?」って連れてきた人なら「まぁ信頼して会ってみるか」→「まぁいいか」となる可能性は高い。選挙でいうと「紹介」してもらうのがこれに当たる。だから、街頭などの空中戦ばかりでなく、紹介してもらうのが確実だ。できればできるだけ名望のある人、地域で信頼されている人の紹介なら言うこと無し。これが時間かかるので、密度は薄いが、ミニ座談会とかになる。
 その他、地域の集まりなどに顔を出して「なんとなく顔を見知っているけど、悪い人じゃなさそうねぇ」→「意外に優しい一面があるのねぇ」となれば、恋愛、いや投票してもらえる可能性は高くなる。だから小まめに地域を回っていることも大事。


 大体、年齢の高い世代がちゃんと選挙に行くのは、世間を経験して政治の大事さに気づいたこともあるだろうが、「投票日には選挙に行くもんだ」と教育を受けてきた影響が大きいのではないかな。これは「適齢期になったら結婚するもんだ」というその世代の考えと連動している?
 それが平成生まれとかになると「なんで結婚なんてしないといけないの」、「誰を選んでもたいして変わらないし、バラ色の未来なんてないんだから結婚しなくていいや」=「投票にいかない」となってくる。それを説得するのは結構難しい。「だって、そういうもんだから、そういうもんなんだよっ!」って。だから「投票率を上げよう!」という運動はなんだかレトロな感じがするのかな。


 政治の側(投票される側)はもう低投票率を前提として動くか、目の覚めるようなぴっかぴかの男または女になって、投票所に思わず行かせてしまうぐらいの魅力を出すか。


 人間には「現状維持バイアス」がある。不確実な未来よりも、確実な現在の方を選ぶ。現政権、現首長、現職がいくらDV夫みたいに、暴言は吐くわ、金は大半自分のものにして妻(国民・市民)には少ししか渡さなかろうが、不正をしようが、妻や子どもが病気になっても放っておこうが、なかなか別の男に…ってことにはならない。


 別の男がぴっかぴかならともかく「悪いことはしません」「暴言は吐きません」「不正もしません」みたいな「しませんリスト」だと、心は動きにくい。ましてやこの男、金持ってなさそうで「一緒に貧乏しよう」みたいなことを言い出しそうだと余計に…。


 昔、ある野党系の新人候補の応援に入って「あんまり『変える、変える』って言うな」とアドバイスしたことがある。「むしろ『変えません!』って言え」って。
 さすがに、「私が当選しても何も変わりません」とは言えないので、ものの喩えなんだけど。これも人の現状維持バイアス、変化に対する恐怖を考えてのこと。変化を促すには、不安を解消し安心してもらった上に、不安を越える「良いこと」があると納得してもらわないとダメだと思う。
(ちなみにこの方はその後も連続当選されています)