演説の構成と分析

勢いで、分析と解説してしまいました。

演説全文

皆さんこんにちは。現総理が憲政史上最長記録を更新していますけど、私はその裏の前前総理を最長記録となってしまいました。野田佳彦でございます。

冒頭いきなりつかもうとしている。最初に決まり切った文句をダラダラと言おうとする人が多いが、「スピーチは最初の30秒が勝負」と言われているぐらい、最初が肝心だ。30秒で注意を引きつけられなければ、後は聞いてもらえない。

今回ちょっと、ひねりすぎて意味がわかりにくかったが・・・。いわゆるオープニングジョークというやつで、注意を引きつけたり、信頼性を高めたり、自分を貶めることで親しみや逆に尊厳を感じさせる効果がある。

実は数日前に志位委員長からお電話をいただきました。私は宇都宮さんを応援しているんだけれども、是非銀座で一緒にマイクを握らないか、というご要請でございました。私は即答できませんでした。というのは、宇都宮候補を応援をされている陣営のチームカラーからすると、私は合わないんじゃないでしょうか、行ったら逆に効果がなくなるんじゃないでしょうかということ申し上げました。たぶん、ここにいらっしゃる皆さんも違和感を持って見ている人もいっぱいいるんではないかと思います。

なぜ自分がここにいるか、の説明。否定的な言い方から入って注意を高めている(アンチテーゼ)。

そのあと、今日司会をしている手塚仁雄さんから、彼とは随分長い付き合いなんですけれども、単刀直入の依頼がきまして、宇都宮陣営、右バッターがいないんですと。ぜひ右の大砲として登場してくださいという、なんか苦悩する阪神タイガースの監督のような相談を受けてしまいまして、この度、謹んでお引き受けをさせていただきました。

 野球を使った「喩え」。野田さんは「喩え」が上手い。財務大臣の時は国家予算を豆腐一丁に喩えていた。他にも「どじょう」「坂を転がるゆきだるま」など枚挙にいとまがない。頭にすっと入って、印象に残る。かつ嫌みがない。「左派ばかりで広がりがないので、右派の私が来ました」なんていったら面白みがないばかりか、角が立つ。

私は東京都民ではありませんから、一票を持っていません。志位委員長と同じ千葉県民です。千葉県民ですが、もし東京都民としてひとりの有権者だったら、今回の大事な知事選挙、誰を選ぶかなあと思ったときに、私は宇都宮さんだと考えていたからであります。

このあと、「なぜ○○さんか」という説得・理由付けに入るが、その前に自分自身の信頼性(クレディビリティ)を高めるフリを入れている(千葉市民だけど・・・選ぶかなあ・・・)。

 「問題点の指摘」と「解決策の提示」という演説では絶対に抜かせない2要素。

現職の方も私は古くからよく存じ上げています。でも今回のコロナ対応は、オリンピックの延期が決まってから、にわかに記者会見を連日行うようになったんじゃありませんか。初動が完全に遅れたと思いますし、的確では私はないと思います。都民ファーストよりも自民ファーストのパフォーマンスが過ぎると思っています。他にも随分候補者が出てきましたけれども、政治家というよりもYouTuberみたいな人がいっぱいいますね。

私は東京都の組織を預かって、権限と財源を生かして、許認可を使って、人事を使って、本当に困っている人たちのために成果をあげる人は誰なのかというと、一番パフォーマンスとは無縁そうな、今日も私直接お会いするのは多分初めてじゃないかと思うんですが、改めて思いますが、地味な人ですね。この地味で愚直な人を都民が見抜けるかどうかに私は将来がかかっているんじゃないかと思います。このいぶし銀の放つ光沢を、自分たちの暮らしを守るために、みんなが判断できるかどうかが今回の私は都政の最大のポイントだと思うんです。

理由に対する信頼性を増加させるエピソード

私はかつて枝野代表と日本新党という政党でご一緒させていただきました。日本新党の選挙責任者をしたことがあります。四半世紀前に宮城県の知事選挙がありまして、皆さんまだご記憶だと思いますが、浅野史郎さんという厚生労働省の障害福祉課長を私たちは担いで勝負をしました。厚労省の障害福祉課長が知事を狙うというのは本当に珍しいケースだったんですが、私は彼を応援して本当によかったなと、当選して本当によかったなと思うのは、障害者のための県政をトコトン行うということを言ったんです。障害を持ってらっしゃる方に住みやすい地域というのは誰にとっても住みやすい地域になるからだと。さらに先があるんです。重度障害者が住んでいける地域は、暮らしていける地域は、誰にとっても住んでいける地域になるんだ。私はこの理念を踏まえて、改革を実行され、残念ながら体調を崩されて勇退されましたけれども、あの四半世紀前の選挙を思い出しています。

今回、最も弱っている人のために、困っている人のために、トコトン仕事をしようと思っている本物の志を持っている人は誰なのか。先程申し上げた通り、私は宇都宮候補であると確信をしています。弁護士時代のご活躍については、もう既に他の弁士の方からお話がございましたけれども、私は思い出すのは、あのリーマンショックの後、厳しい状況になって、日比谷公園であの年越し村をつくりましたですね。年越し派遣村を。名誉村長になっていただきましたですね。一貫して困った人、弱った人のために寄り添い、汗をかいてきた人に、私は、15兆4000億円の予算を預けたい、そう思うんです。予算を行使し、人事を使い、許認可を使い、思い切って名誉村長ではなく東京のトップとして力を発揮してほしいと心から思うんです。必ずや全ての人にとって住みやすい東京をつくることができると思います。

 話を転換して、二つ目の理由付け。後藤新平を持ってきたのにはびっくりした。演説している場所にも縁があるし。これはさすが、というか舌を巻いた。

100年前の皆さん東京のリーダーって知っていますか。1920年は東京都ではありません。東京市です。その時の東京市長は後藤新平という人です。大風呂敷と言われたくらいに100年の計に立った東京の改造を構想していました。なかなかできなかったんですが、不幸なことがその実現をする道を拓きました。それは1923年、97年前に発災した関東大震災であります。

後藤さんは大きな道路をまず造りはじめました。この晴海道路、今は見慣れてるからそう思われないかもしれないけど、当時としては相当な拡幅なんですね。今ほどマイカーがなかった頃、大八車で引っ越しした頃です。大きな道路を造って、なぜか、何のためのインフラ整備か、それは命を守るためなんです。関東大震災で火災が起こり、多くの尊い命を失いました。広い大きな道路を造れば延焼の防止になるということですね。浅草の吾妻橋も、その他の大きな橋がみんな燃えました。橋を渡って逃げることができないから多くの人が亡くなったんです。鉄の橋を造ったのもそのためなんです。単なるインフラ整備ではなくて命を守るための東京改造をやったんですね。そうした改造をした後に1924年に松坂屋が進出をし、1925年に松屋がオープンし、1930年に三越ができ、1932年に和光ができた。命の基盤を造ってから、商売繁盛する街を造ったんです。

私は100年前を思い起こすならば、今回は大震災ではないけれども、コロナウイルスという大きな危機に際して、都民の命を守ることを理念として、医療の充実等々しっかりと仕事をしようという、私は宇都宮さんが100年越しの東京改造の担い手だと確信をしています。

だんだん調子が出て参りましたがそろそろ候補者もスタンバイをしていますから、私もマイクを置かなければならないと思っておりますけれども、今日お集まりいただいた方は、宇都宮さんのお話に関心を持って、あるいは支援の気持ちを持っていらっしゃる方が多いと思います。でも今回はコロナの影響があって残念ながら投票率が下がる可能性があるんですね。しかもパフォーマンスの上手な候補がいっぱいいるから、本物を見抜けないままで終わってしまう可能性があるんだと思います。それが一番困るんです。私や志位さんは千葉県民ですね。そして枝野さんは埼玉県民ですね。福島さんはどちらでしたっけ。神奈川ですか。残念ながら首都圏にいるんだけれども東京都民じゃないんです。

 最後は「行動への呼びかけ」(必ず)

ここにいらっしゃる皆さんが、是非あと一週間、宇都宮頼むという支援の輪を大きく広げていただけることが、私は東京を大きく変える大きなチャンスに繋がると思っております。東京が変われば、千葉も埼玉も神奈川も変わります。都政が変われば国政も変わります。都政を変えていきましょう。その先頭に宇都宮さんを立たせていただけますように心からお願いを申し上げます。

締めはあっさりと。冒頭との連携もきちんととれている。

そして私も今日初めてマイクを持たせていただきましたけれども、右バッターとして最後まで宇都宮さんを応援することを誓い申し上げてマイクを置かせていただきます。

ご清聴どうもありがとうございました。

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